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明日から役に立つ読書法! ~『ナニワ金融道』青木雄二から学ぶ~

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ナニワ金融道という漫画を知っているでしょうか。

まあ、それこそ超有名ですから大多数の人は知ってますわな。

私は作者の故・青木雄二氏が大好きです。何故かと言えば単純な話、その生き方と深い知識を尊敬しているからです。清濁併せ呑んだ人だと思ってます。

 

さて、今回の『役立つ読書法』は、青木雄二の短編『ラテン喫茶の頃』の後書き部分です。個人的に非常に勉強になったので、自分用という意味合いも込めて書き記したいと思います。

 

役立つ読書法

本を読むのは教養でなく、生き方を知るため

自分の生き方に反映できるような本を読むべきや!

 人間というもの、近代人の精神というものがどういうものなのかを知るためにはドストエフスキーの『罪と罰』などの作品を読むことがいちばんの近道や。それと同じくらいの比重で、現代の社会のつくり、資本主義というものを知るには、マルクスとエンゲルスの『弁証法的唯物論』と『史的唯物論』がいちばんわかりやすいと思う。

 マルクスは古いという人が今はたくさんいる。けど、真理というのは古くなったり、時代遅れになったりしないのや。マルクスが解き明かしたのは、資本主義が持っている非人間的な本質で、細かい数字や社会主義が現実に発展するかどうかということとは別に、資本主義の限界を真理として言い当てているのや。これについては、だれも効果的な反論はできない。

 ワシがドストエフスキーやマルクスを読んだのは、最初は、ふだん読めないような長いものを読もうと思ったからやった。けど、読みはじめてから、長いだけやなくて、そこには真理がたくさん盛り込まれていることに気づいた。

 よく、乱読といって、片っ端から本を読むことを勧める奴がいるけど、そんなもん時間のムダや。最高級のものだけを読めばいい。

 ただし、その本が自分にとって最高級かどうかは、ある程度読んでみんとわからない。

 たとえば、ワシは、ドストエフスキーに感銘を受けた青に、実存主義作家と呼ばれたカミュの『異邦人』のような、かつて高く評価された本も読んでみた。けど、しっくりこなかったな。ドストエフスキーのような驚きは感じなかったんや。

 カミュの文学の中には、ワシが求めているものがなかったということやろうね。

 ワシは最初から、教養のために本を読もうと思ったのやない。人生をどう生きていけばいいかということを知るために、必要に迫られて読んだんや。

 だから、ワシとは別の人生を歩んでいる人が、カミュを読んだら、それが最高級化も知れんで。そこは、人それぞれなんや。だから、ワシがドストエフスキーに感動したからというて、みんなにドストエフスキーを読んだらええ、とは言わない。

 反対に、ワシみたいな人生、水商売なんかを30種類以上も転職して、社会の裏を見てきた人間でないと、ドストエフスキーの言わんとしているところがはっきりとはわからんかもしらん。もちろん、ドストエフスキーやマルクスを読んで、ワシと同じように感動する奴もいると思うで。けど、毎日を仕事で追われている労働者が本を読むのは、それこそ大変な負担になる。

 だから、ワシはみんなに読むことを勧めるというより、ここに真理があるということを、本を書いたり、人を指導したりする立場にある人間に理解してもらいたいという気持ちがある。

 資本家とそれを結びつけて儲けている政治家や官僚たちは、ドストエフスキーやマルクスが表現した真理を一般の人間に悟られると困るから、隠そう、隠そうとするし、この真理に気づいた教師や公務員に冷たく当たる。

 なにしろ、「マルクス主義は今でも有効やで」と公然と主張したら、会社でも学校でも、裁判官でも労働者でも昇進は無理や。だから、これが真理やということが、隠蔽されつつあるということやな。その事実を、人の上にたつような人間にはわかっておいてもらいたい。

 そして、労働者は、マルクスの『資本論』を全部読めればそれに越したことはないけれど、むずかしいから、マルクスが書いたことのエッセンスだけでも理解せなアカンということや。 

  つまり、まずは、労働者は資本家に搾取されていて、労働者は資本家から滴定な資金を獲得する権利がある、ということやな。

 毎日の労働でゼニを搾取されているサラリーマンが、恋愛小説を読んで億万長者と結婚することを夢見ていてくれたら、喜ぶのは資本家と自民党だけやで。

 自分自身の人生を変革するくらいのものを読むのがホンマの読書というもんや。

 

 

読書とは生き方を知るためのもの

正直、初めてこれを読んだとき、青天の霹靂と言った心持でしたね。

私が長年抱えてきたものに、ひとつの答えを提示してくれたのですから。

漫画じゃダメなの?とか、ラノベじゃダメなの?とか言った疑問は、やはり私の中でも常に湧き上がるものでした。

結局のところ、そこからの自分の人生観すら変えてしまうような、そんな本に出会うことが、本当の意味での読書と呼べるのかもしれませんね。

 

世の成功者は、必ずと言っていいほど読書家です。特に経営者は、ときに重大な決断をしなければなりません。そのような局面で最後にモノをいうのは知識や理ではありません。自分の信念、人生観です。それを形作っていくのが読書というわけですね。

 

他にももっと書きたいことはあるのですが、自分の中でまとまっていないので、次の機会に。