【書評】石原慎太郎『太陽の季節』レビュー:女卑描写が散見されるポルノ文学

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太陽の季節

東京都知事選が始まるということを、今更ながら知った。

新聞を取り寄せていない身では、ヤフーニュースのトップをちらりと見るだけの毎日である。
ハッキリ言ってしまえば、恥ずかしながら石原慎太郎が既に都知事を辞職され、衆議院議員として国政に復帰しているということも知らなかった。

石原慎太郎氏の「太陽の季節」をついこの間読了した。文壇にセンセーションを巻き起こした問題作というのも、頷ける内容であった。ハッキリ申し上げると、(あくまで私としては)退屈な内容であった。それは、今日におけるサブカルチャーの氾濫に慣れているから、と考えるべきか?当時の人間には刺激的だったろうが、倫理観に欠ける漫画作品など巷に溢れかえっており、新鮮味がまるで得られず、漠然とただ眺めるだけのような、そんな読書になってしまった。主人公は、スラング風に言えば唯のDQNであり、純文学に通ずる、登場人物の心理を読み取るという楽しみがない。彼らは刹那的であり、悪党であり、かといって魂の救いを求めているわけでもなく、しかも時にニヒルであるからだ。

「女は彼等にとって欠くことの出来ぬ装身具であった」
フリー・セックスが随所に散らばるこの作品に於いては、女卑描写が当然のように散見される。
暴力、ドラッグ、酒…現代日本では到底考えられぬ堕落した世界が、彼らの界隈では罷り通っている。

こんなもん書く人間が政治をとるなとかよく言われていたが、若気の至りということを考えないで発言している者が多い。この人はサブカルに対して批判、もしくは閉鎖的な発言をしていることが多かったので、この作品をよく槍玉にあげられていた。だが一歩退いて、冷めた目で傍観してみると、面白いことに気が付く。たった一つの教材を題材にして、何も知らぬ者が扇動される構図は、滑稽であることに。この作品は反社会的なものではあるが、それをただ推奨しているような薄っぺらいものではない、もしくは反面教師としているようなものではないということは、読書家であれば誰でもすぐ気が付くことだ。若者の堕落を描いた作品は数あれど、これがその草分け的な存在であったことは確かだし、評価もされている。

Twitterでも同様な事例でよく笑わせてもらっている。まるで道化であると。「頭の悪いもの、知ったかぶりするもの、物事のわかりが悪いものは皆の道化にされ笑われて当然」とは『むこうぶち』ラウターレンの台詞である。
インターネットに扇動されている人間なんて、まさにそれだろう。目に見えぬ扇動者に大衆が扇動され行きつく先はGenocideであると相場が決まっている。それは歴史が証明している。

まあ私は青少年育成保護条例に反対ではあったが。

追記:作品も読まず、何も知らぬくせに、わかったような評価をする。偉大な文壇家がしっかりとした批評をしているのに、なにも考えぬ馬鹿が上から目線で適当極まりない批評をする。それが私には本当に腹が立つ。上辺だけのモノに踊らされ、物事の本質が見えていない阿呆は、道化としてfarceの主役がお似合いだ。

2 Comments

アバター 55225

おいおい途中まで真面目な記事と思って真剣に読んだ俺の立場がないじゃないか

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アバター tettunn

>>55225さん
コメントありがとうございます。
基本的に私のスタンスは、文学作品についてはこんな感じなのですけれど、移転前のブログでも特にキレてたの持ってきたんですよね。
なんかちょっと久しぶりに見たら気恥ずかしかったっていうことです(笑)
なので、書評のところ自体は真面目な記事なので、真剣に読んで下さってありがとうございます。

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